ケアのもう一つの社会学 (市野川容孝)

※『atプラス』08号(2011年5月刊行)143-153頁に掲載。


 「ケアの社会学入門」という特集を組んだ本誌07号の批評をせよ、と編集部から依頼されてから間もない2011年3月11日に、東日本大震災がおきた。
4月11日現在で、死者は13,013名、行方不明者は14,608名と伝えられている。両者の合計は27,621名にのぼり、1995年の阪神・淡路大震災の死者(約6,500名)の4倍をこえている。加えて、約15万の人びとが避難生活を余儀なくされている。特別養護老人ホームの高齢者とそこで働くヘルパーが、数十名、そのまま津波にのみこまれ、死亡、行方不明になったケースも、いくつか報道されている。
 本誌07号の特集で論じられていたケアは、高齢者や障害者にかかわる介護や介助に限定されていた。しかし、3月11日を経験した現在、ケアという言葉は、もっと広い文脈と射程において考えられるべきものに(再び)なったと私は思う。

◆ 誰もが要介護者である

 東日本大震災をめぐって四つのことを述べながら、ケアの射程を少し思い切って広げることから始めたい。
 まず第一に、この大震災において(も)明らかとなったのは、健常者とされている人びともまた、潜在的には、みな要介護者だということだ。
 当たり前のことだが、自分だけの力で生きている、というのは、全くの幻想である。蛇口をひねれば、水が出る。スイッチを入れれば、電気がつき、ガスがつく。そういう当たり前の生活は、自分以外の多くの他者の配慮(ケア)によって支えられている。自分で井戸を掘って水を調達したり、自分で電気をおこしたり、自分でガスを採掘したり、ということを、全部一人でやっている人は、存在しないだろう。水を調達する人たちも、誰かに電気をつくってもらって、それを使い、電気をつくる人たちも、誰かにガスをつくって、それを使う。そして、私たちの大半は、そのどれもせず、別のことをして生きているが、これらの配慮がなければ、私たちは生きていけない。いわゆるライフライン──英語由来のこのカタカナ日本語が広まったのも、阪神・淡路大震災以降のことだ──の話をしているのだが、これらの配慮なしに生活が成り立たないという意味で、私たちはみなケアを必要とする要介護者と言ってよい。大震災は、これらの自明視されたケアの構造を大規模に破壊した。健常者がみな、この意味で要介護者であることが顕在化し、だから被災者に対するこれまでとは別の形の配慮と支援が、今、強く求められているのである。
 careという英語に相当するラテン語はcuraであり、それに「〜がない」という意味のse-という接頭辞が付いてsecuritasとなり、これを語源としてsecurity(安全性)という英語が生まれた。セキュリティは、だからケアの不在を意味するが、正確には、ケアがあるのに、それが不可視化されている状態と言うべきだろう。大震災によって、既存のセキュリティの構造は、様々な意味で破壊された。しかし他方で、この痛ましい出来事は、平時において自明視され不可視化されていたケアが何であったかを、喪失という形で可視化した。

◆ 災害がひらくケア

 しかし、第二に、大震災が可視化したのは、自明視されてきたがゆえに不可視化されてきたケアの構造ばかりではない。その自明視された平時のケアの構造によって封じ込められてきたケアの別の可能性が開かれ、可視化されもしたのである。
 昨年末に邦訳されたレベッカ・ソルニットの『災害ユートピア』(高月園子訳、亜希書房、2010年)は、何よりもまず、「地震、爆撃、大嵐などの直後には、緊迫した状況の中で誰もが利他的になり、自身や身内のみならず、隣人や見も知らぬ人びとに対してさえ、まず思いやりを示す」という基本的事実を強調する(同書、11頁)。平時においては、相互に切り離され、互いに無関心であった人びとが、災害の中で互いに助け合い、支えあう。
 東日本大震災の後に、今、私たちが直面している課題も、そういうことだ。本誌07号に寄稿していた中西正司を代表として「東北関東大震災東北地方太平洋沖地震)障害者救援本部」が、震災直後の3月14日に立ち上げられたが、こうした支援の輪を一つ一つ分厚くしていくことが必要だし、誰もがその輪に対して自分のできることをすべきだろう。いや、すべきなのではない。単純にできるのだから、すればよいのである。
 災害という経験をつぶさに見続けることで生まれた「ケアの社会学」の流れが日本にもある。その一つは、似田貝香門を中心に1995年から始められた阪神・淡路大震災のボランティアに関する共同調査から生まれたもので、似田貝香門編『自立支援の実践知──阪神・淡路大震災と共同・市民社会』(東信堂、2008年)の他にも、共同調査に参加した若い社会学者たちが、対象を災害のみならず、医療や福祉に広げながら、三井さよ『ケアの社会学──臨床現場との対話』(勁草書房、2004年)、崎山治男他編『〈支援〉の社会学』(青弓社、2008年)、佐藤恵『自立と支援の社会学──阪神大震災とボランティア』(東信堂、2010年)といった仕事を世に問うている。これらのケアの社会学から今、私たちが学べることは多いはずだ。

◆ ケアの収奪としてのセキュリティ──原発災害

 第三は、今回の震災を他の震災と全く異なるものにしている原発問題である。
 福島原発の現状について、東電、官邸、原子力安全・保安院、そして原子力安全委員会が連日発表している情報の真偽を見定められるほど、私は自然科学に通じていない。原子力資料情報室等のNGOが発信している情報と突き合わせて思案するのが関の山だ。だから、政府筋の情報が虚偽だとか、事実を隠蔽していると言えるような立場にはないし、言うつもりもない。
 しかし、安全性という装置について、多少は社会科学的な考察を加えておきたいと思う。セキュリティは、語義的にはケアの不在を意味するけれども、安全性という言葉を軸に編成される現実の社会制度において、様々な配慮(ケア)は決して消滅しない。その逆であって、むしろ肥大する。誰もが安心して暮らせる社会は、一定の人びとが担う大きな配慮なしには成立しない。その延長線上で、安全性の装置で往々にして生じるのは、ケアの消滅ではなく、ケアの収奪とその集中、独占である。先ほど私は、セキュリティを、ケアがあるのに、それが不可視化されている状態と表現したが、これに続く二番目の意味は、誰かが把持して然るべきケアが、誰かにに剥奪される状態であり、その意味でケアが消滅させられる状態である。
 『災害ユートピア』の中で、レベッカ・ソルニットは「エリートパニック」という災害学の概念に言及している。災害時にパニックになるのは(無知とされた)普通の人びとはなく、エリートの方だという意味である。この言葉をつくったリー・クラークは、次のように言う。「エリートパニックがユニークなのは、それが一般の人びとがパニックになると思って引き起こされる点です。ただ、彼らがパニックになることは、わたしたちがパニックになるより、ただ単にもっと重大です。なぜなら、彼らには権力があり、より大きな影響を与えられる地位にあるからです。彼らは立場を使って情報資源を操れるので、手の内を明かさないでいることもできる。それは統治に対する非常に家長的な姿勢です。子どもを扱うのと同じ」(同書、175頁)。
 本当のことを伝えたら、無知な一般人はパニックに陥るに違いないという思い込みにもとづいて、一般人を子ども扱いし、すべては私たちエリートがコントロールすればよいと考えて、結果的にもっと深刻な事態をひきおこすエリートパニックは、一般人から心配(ケア)する能力を収奪する結果、生じるものでもあるだろう。
 「どんな地震でも、原発は絶対に安全です」という一部の専門家の言葉に支えられた安全性の装置の中で、私たちは自分たち自身が把持すべきケアをすでに喪失していた。震災と津波によって引き起こされた福島原発の危機的状況そのものが、すでにエリートパニックの一つだと言えるかもしれない。
 事態をもう少し別の言葉で表現しよう。『リスクの社会学』の第6章で、社会学者のニクラス・ルーマンは「決定する者(Entscheider)」と「決定に巻き込まれる者(Betroffene)」という対概念を提示している。この対概念は、「危険」と「リスク」というもう一つの対概念と連動する。「リスク」とは、ルーマンによれば、あるシステムのなす決定に帰責される事象であるのに対して、「危険」とは外部の環境世界に帰責される事象である。つまり、天災は危険であり、人災はリスクである。原発災害が人災であり、リスクであることは明らかだ。しかし、すべての人が原発の建設やその具体的な設計等の決定に参与していたわけではない。にもかかわらず、一部の人たちの決定は、決定に参与していない多くの人たちを巻き込む。決定した者にとって、原発災害は自分たち自身がコントロールすべき(だった)リスクだが、決定に巻き込まれる人たちにとって、それは天災であり、自分たちにはどうすることもできない危険である。決定する者と決定に巻き込まれる者という分割は、心配(ケア)する能力の剥奪と独占という不均衡に重なり合う。
 そして、異議申立て(プロテスト)とは、他の人びとの決定とそれがもたらす危険に巻き込まれる人たちが、そのことを自覚しつつ、その決定に対してノーという新たな決定を対置する営みである。それは、安全性の装置の中で奪われた自身のケアの力を取り戻すということでもあるだろう。

◆ ケアの閉塞とそこからの排除

 レベッカ・ソルニットの『災害ユートピア』に、これまで肯定的に言及してきた。しかし、最後に第四として、災害ユートピアという図式には収まりきらない現象もまた、災害によって引き起こされると私は思う。
 災害時において、平時には見られないケアや支援の可能性が開かれるということ、利他心が個人のエゴイズムを凌駕していくということが事実だとしても、その利他心が集団的なエゴイズムや排外主義に転化していくことがありうる。
 私たちが想起しなければならないのは、関東大震災(1925年)における朝鮮人虐殺と、大杉栄伊藤野枝らの殺害である。ソルニットも『災害ユートピア』(119頁)で、この日本の出来事に言及しており、これを先のエリートパニックの一つととらえているようだが、その理解で十分かどうか、私は疑問に思う。
 4月12日付の読売新聞に、被災者のこんな話が載っていた。福島県いわき市在住のその女性(35歳)は、原発事故後の20日間、東京と神奈川の親戚宅に身を寄せていたが、子どもを避難先の地区の小学校に通わせることに不安を覚え、いわき市の自宅に戻ってきたという。「何が不安かというと、福島県から来たというだけで子どもたちが差別を受けるのではないかということです。福島県民は放射能に汚染されたと思われているのでしょうか。神奈川に避難した知人の子は『福島くん』とあだ名をつけられました。(中略)いわれなき差別が起こらないようにと願っています」。エリートが「まだ安全だ」と言い、一般人が「本当は危ない」と思うことで生ずる他者への暴力もありうる。
 災害時に充溢する人びとのケアの力が、その後、時とともに収縮していくという問題もある。ソルニットも、問題は災害ユートピアを平時にも維持できるかどうかだと指摘する。「災害はわたしたちに別の社会を垣間見せさせてくれるかもしれない。だが、問題は、災害の前や過ぎ去ったあとに、それを利用できるかどうか、そういった欲求と可能性を平常時に認識し、実現できるかどうかだ」(『災害ユートピア』431頁)。
 医師の額田勲は、阪神・淡路大震災後の復興の中で増え続けた高齢者の「孤独死」を問題視し続けた(『孤独死──被災地神戸で考える人間の復興』岩波書店、1999年)。震災は、モノを壊すだけではない。それまでの人の人のつながりをも壊しうる。そういうつながりを喪失し、生きる希望を失った高齢者が、一見、輝かしい復興の中で、暗い穴の中へと打ち捨てられていく理不尽さを、額田は告発し続けたが、それと同じようなことが、今回の東日本大震災の後におこらないようにするためには、私たちは何をしなければならないのだろうか。

◆ 配慮の不平等と社会モデル

 編集部から私が依頼されたのは、本誌07号の批評だった。ずいぶんと遠回りをしてしまったが、ケアの射程を以下では本誌07号のものに狭めながら、この本来の課題に戻ることにしよう。
 健常者とされている人びともまた、潜在的には、みな要介護者だということ、それを今回の大震災はあらためて明らかにした、と冒頭で述べた。しかし、これに急いで続けなければならないのは、すべての人が何らかのケアを必要とする要介護者であるにもかかわらず、その必要を当たり前のように満たしてもらえる人と、そうでない人という分断があるということだ。
 一方に「配慮を必要としない多くの人びと」がおり、他方に「特別の配慮を必要とする少数の人びと」がいる、という考えは根本的に間違っている、と社会学者の石川准は指摘してきた(『見えないものと見えるもの』医学書院、242頁)。例えば、多くの健常者が使う階段と、車椅子利用者が使うエレベーターを比較せよ。どちらも配慮であることに変わりはない。エレベーターなしに車椅子利用者が二階に上がれないのと同じように、健常者もまた(ロッククライマーか棒高跳びの選手でもないかぎり)階段なしには二階に上がれない。しかし、健常者のための階段は、あって当たり前の配慮であるがゆえに、それが配慮であることさえ見えなくなるのに対して、車椅子利用者のためのエレベーターは、その人たちのためにわざわざ設えられたものだと認識される。
 石川は続けて言う。正しいのは「すでに配慮されている人びと」と「いまだ配慮されていない人びと」という見方である。「多数者への配慮は当然のこととされ、配慮とはいわれない。対照的に、少数者への配慮は特別なこととして可視化される」(同書、242頁)。
 石川やその他の人びととともに、私はこの10年近く、障害学という学問の日本での立ち上げに微力ながら関わってきた(障害学会についてはhttp://www.jsds.org/ を参照)。英語圏でその形をととのえられた障害学は、impairmentとdisabilityを区別する。impairmentは、身体的・物理的な不具合──ということを超えて障害学では一つの「個性」と考える──だが、disabilityは、その身体的特徴を理由になされる一連の可能性剥奪のことを言う。
 加えて、障害学では、障害の社会モデルというものを、その医学(ないし個人)モデルに対置する。後者が、ある人が何かをできないことの理由を、その人のimpairmentに求めるのに対して、前者はその理由を、その人を取り囲む特定もしくは不特定の人びとの配慮の不足と欠如に求める。例えば、「あの人はなぜ私の論文が読めないのか」という問いに、医学(個人)モデルが「あの人は目が見えないからだ」と答えるのに対して、社会モデルは「私がそれを点字で渡していないからだ」と答える。同様に、「あの人はなぜ私の話が分からないのか」という問いに、医学(個人)モデルが「あの人は耳が聞こえないからだ」と答えるのに対して、社会モデルは「私が手話で伝えないからだ」あるいは「音声だけで伝えるからだ」と答える。
 社会モデルに反対する人たちは、すぐに「そんな調子では、キリがない」「何でもかんでも相手の言うとおりにできないだろう」といちゃもんをつける。そのとおり。何でもかんでも、できるわけではない。すべての「できない」ことが、他者の配慮によって解消されるわけではない。しかし、どこまでやれるかは、やってみなければ分からない。最初からできないと決めてかかることで、石川の言う配慮の不平等が固定化されるだけではない。非障害者自身が自分で自分の可能性を剥奪することにもなるのである。そう考えることもまた、社会モデルであり、障害学だ。
 障害学は、学問であると同時に実践である。視覚障害者、ろう者、手話のできない聴覚障害者、車椅子利用者、そして特に障害のない者、等々が集まって、研究会を開く。大会を開く。学会誌を出す。そこで何かが伝えられ、共有されることそれ自体のために、今までにない、いろんな知識が蓄積されていく。
 障害学という取組みの中で実感するのは、私自身が障害者だということだ。手話ができない、点字ができない、等々。と同時に、ケアという実践が、他者の可能性を開きつつ、自分自身の可能性を開くということも実感する。昨年、私のいる東京大学駒場1キャンパスで障害学会の第7回大会が開かれ、大会長をつとめた。「ええっ、それは無理だ」「できない」と最初は思うことがいくつもあり、結局、できなかったことも少なくなかったけれども、「なんだ、できるじゃないか」と思うことも多かった。
 世の中には、線を引きたがる人がいて、なぜ、そんなことをしていいのか、しなければならないのか、それをするには根拠が、資格が必要だと言う。そういう考えにも一理あるけれども、できるのなら、すればいいという単純な原理もある。ケアが始まり、広がっていくのは、私の考えでは、前者ではなく、後者である。
 本誌07号の論文で、中西正司は、介護サービス事業者に認められて然るべき行為が、法律によって医療行為とされているがゆえに、医師資格等がなければしてはならないとされている現状を批判している(62頁以下)。今では一定の条件下でヘルパーにも認められるようになったが、これは例えば痰の吸引をめぐって問題になったことだ。何でもかんでも認めるわけにはいかないだろう。しかし、できるのなら、すればいい、認めればいいという原理にもとづいた柔軟化が必要だと私も思う。

◆ 自己へのケアを取り戻す

 しかし、中西は、単純に、できるのなら、すればいい、認めればいいと言っているわけではない。「当事者の自己決定」にもとづいた柔軟化を主張しているのである。ここは重要な点だ。自己決定なら何でも認めるということではない。自己決定にもとづかないことは、認めないということである。この二つは違う。
 安全性という装置の中で、ケアの収奪とその集中、独占が生じうるということを、先に述べた。社会的な安全性(社会保障)という装置の中でも、それが「専門家支配」(E・フリードソン)という形で確立されてきた。ケアする側が、ケアされる側の意向に左右されることなく、何が必要なケアかを決定していくという体制が、プロフェッションの自律性(オートノミー)という言葉で正当化されてきたことの一つである。
 中西たちが「当事者主権」という言葉で開こうとしていることの一つは、このような枠組みの中で収奪されてきたケア、より正確には自己自身に対するケアを取り戻す営みだと私は理解している。ケアする、されるという言い方をした。しかし、こういう言い方自体が、実は間違いである。ケアされる(とされた)者が、すでに自分自身をケアする主体なのである。何をいつ食べるのか、いつトイレにいくのか、等を自分で気づかう主体であることを自分で自覚し、また他人(介助者)に認識させることから、自立生活は始まる。他方、介助者も相手を、自分自身をケアする主体として認めることから始めなければならない。
 しかし、ここで言うケアは、ゼロ・サムの原理では動かない。つまり、Aが一定量のケアを取り戻せば、Bのケアがその分消えてなくなるわけではない。ケアを単に物理的運動量として、つまりは肉体労働としてのみ理解することができるならば、ゼロ・サムの原理も強く作動するだろう。例えば、相手が自分で立って歩くようになるなら、介助者は移動の介助をしなくて済む。狭義のリハビリテーションは、そうなることを重視するけれども、自立生活運動や障害者運動は、そういう志向が自分らしく生きることにはつながらないという認識から出発したのだし、実際問題として身体機能が大きく変化することはない。障害をもつ当事者が自己へのケアを取り戻すということは、だから物理的運動量を取り戻すということではない。どう生活するかに関する決定権を取り戻すということだ。そのことによって、介助者の肉体労働は減らない(増える場合もあるだろう)。加えて、介助は単なる肉体労働ではない。感情労働という言葉を使うことに私は違和感があるが、肉体労働に還元されないさまざまな配慮が介助に求められることは事実である。
 要するに、介助という関係において、自己決定の論理は、自己責任の論理を帰結しないし、帰結できないということだ。あなたが自分で決めると言うなら、私は一切関知しません、とは言えないのである。一方におけるケアの回復は、他方におけるケアの消滅を意味しない。双方のケアが必要であり、しかもその二つが交錯しなければならないのである。
 今年で26年目の介助者経験をふまえて、私が思うのはそういうことだ。

新自由主義と当事者主権

 上野千鶴子辻元清美との対談で、次のように述べている。「ドイツでゾチアール・マルクト(社会的市場)という概念を学んで、ものすごく勉強になった。マルクトというのはマーケット(市場)ね。それにソーシャル(社会的)な原理を接ぎ木する。市場原理とは異なるものを、それこそ水と油のように異なるものを、接ぎ木するわけ。そこには制度の一貫性などないけど、水と油だからドレッシングになる。ほんらい混じらないものをブレンドする。ブレンドする配合がよいと絶妙な味が出る。ネオリベか反ネオリベかという二者択一じゃないのよ」(『世代間連帯』岩波新書、一三四頁)。
 上野によれば、ドイツの「社会的市場」は、市場原理にもとづく「ネオリベ」と市場の失敗を是正する「社会民主主義」という二項対立を超えるものなのだそうだ。しかし、社会的市場というモデルは、オルドー新自由主義に属するA・ミュラーアルマックが提唱したものであり、その制度化はオルドー新自由主義者をブレーンとしたL・エアハルトによって推進されたのである。つまり、社会的市場というモデルは、ネオリベ社民主義の折衷ではなく、新自由主義そのものなのである。
 上野だけではないが、ネオリベという日本語はかなり安易に、そして不正確に用いられている。ネオリベとは言いつつも、そこで含意されているものが、オルドー新自由主義の批判した「旧」自由主義でしかないことが少なくない。旧自由主義とは何か。それは、競争原理をそれ自身で窒息させる自由放任主義である。自由放任にもとづくかぎり、競争原理は独占を加速する。強い資本がますます強くなり、他のあらゆる資本を吸収していく。レーニンは、それを「生産の社会化」と解読し、社会主義まではあと一歩だと考えた(『帝国主義岩波文庫、43頁)。独占が程なく生産手段の国有化に転化すると考えたからである。
 オルドー新自由主義は、レーニンのこの診断をある意味で共有しつつ、しかしレーニンに抗して、競争原理をそれ自身で窒息させないために自由放任主義と訣別した。だから「新」自由主義なのであり、それは第一に、競争のための介入、競争の組織化を求めた。第二に、万人を起業家にすること。そのための再分配の必要性をオルドー自由主義は認めた。だから「社会的」市場なのである。第三に、消費者主権。労組を含めて生産者(供給者)に主権を認めてはならない。競争は消費者(需要者)主権によってこそ活性化され続ける。
 日本の介護保険そのものが、こういう新自由主義の論理に動かされている可能性について考える必要があると私は思う。新自由主義ではないものの可能性を正しく開くためにも、新自由主義なるものを正確に理解する必要がある。公的セクターではなく、民間活力を動員せよ。事業者を、また地域を競争させよ。そういう競争のしくみをデザインせよ。新自由主義のそういう論理は、日本の介護保険制度に見え隠れしている。
 おもねることなく、さらに言うなら、障害者の自立生活運動が新自由主義の水路に呼び込まれていく可能性もあると私は考える。当事者主権という主張は、オルドー新自由主義の強調した消費者主権とどう違うのか。また、雇用主モデル(障害者を介助者の雇い主と位置づけること)は、万人を起業家に、という新自由主義のプログラムとどう違うのか。新自由主義的な要素が強まるなら、介助を受ける者(需要者)と介助する者(供給者)、さらに介助する者同士が、互いに分断されていくだろう。そうなる可能性を明示しなければ、「当事者は、たんなる利用者、消費者ではない」、「当事者主権とは、サービスという資源をめぐって、受け手と送り手のあいだの新しい相互関係を切りひらく概念でもある」(中西正司・上野千鶴子『当事者主権』、2003年、5-6頁)という、さらに掘り下げが必要な言葉の重要性も見えてこない。
 1959年のゴーデスベルク綱領で、ドイツ社民党はオルドー新自由主義に屈服した。同綱領の中の「可能なかぎりの競争を、そして必要なかぎりで計画を!」という言葉が、それを象徴している。それでもドイツ社民党は、オルドー新自由主義が主題化することのなかった理念を一つだけ、その後も把持し続けた。同綱領は、「社会主義の基本的価値」として、「自由」「公正」「連帯」という三つの理念を提示したが、最後の「連帯」がそれである。
 本誌(の前身)が以前に特集も組んだ賀川豊彦が目指したものは、オルドー新自由主義が掲げたような単なる消費者主権ではなかったと私は思う。人間を生産者としてのみとらえるのではなく、消費者としてもとらえること。また、生産者の集団からも排除される人びとともつながること。そして、生産者と消費者を分断するのではなく、両者をつなぐこと。賀川を私は手放しで称賛するつもりは全くないが、そういう意味での連帯を模索した賀川の姿勢と実践は評価されるべきだと思う。
 災害ユートピアの中で充溢するのは、(広義の)ケアと同時に連帯である。制度としての介助や介護を、災害という例外状態と無関係のものとして設計するのではなく、この例外状態で閃くものにも照らしながら構想すること。今、日本でおこっていることに何も関係づけられないようなケアの社会学に、さしたる展望はないだろう。自戒を込めてそう思う。(了)