拙著『社会』における誤訳(ベンヤミン)について

標記の件につき、この場を借りて、訂正と説明をさせていただきます。

【1】まず、何をどう訂正すべきかですが、拙著『社会』の84頁9行目以下を、きわめて不十分ながら、以下のように訂正しなければなりません(【 】内が訂正後の文言)。

《……「この運動が時流にのって躍進している理由は、議会主義を時代遅れとして否定するからだ。この運動は、神【秘】的要素をたずさえつつ、新たな活動へと神【秘に包まれながら】突入していく。束稈は、力の束となった。しかし、そこに刺さった『恐れ』と『服従』という二つの斧は、その刃先をそれだけ一層、ギラッと光らせている」[引用情報省略]。
 議会主義の否定が新た【に】「神【秘】」を生み、そこからファシズムという暴力が誕生する。その現場を、ベンヤミンは目撃した。「神的」暴力をそこから救出するためには、議会制民主主義そのものを救出する必要があったのだと私は思う。》

 上の引用の第2文以下をもう少し正確に訳すなら、「この運動を時流にのせる要素は、神秘的なものと結合しながら、さらにまた、束稈を力の束にしていく」というところでしょうか。

【2】次に、私が何をどう誤訳したのかですが、上の原文(写真)をご参照いただければ分かるように、私は原文の「mystisch(神秘的)」という言葉を「mythisch(神話的)」だと思い込んで、邦訳していました。これは誤「訳」以前に、誤「読」で、私には「mystisch」が「mythisch」にしか見えなかったのです。

【3】なぜ私が、このような読み取り間違いをしてしまったのか。──理由は、いくつかあります。
 (1)この言葉で締め括られているベンヤミンのインタビューは、「神話mythe」という言葉で自らの「サンディカリスム」を語ったソレルの、その弟子であるG・ヴァロアに対するものであること。
 (2)ベンヤミンは、ヴァロアたち「アクション・フランセーズ」の活動を、はっきり「ファシズムFascismus」という言葉で表現していますが、ファシズムは(ソレル同様)「神話」という言葉によって、自らの運動を美化していったこと。例えば、ベンヤミンのこのインタビューから3年後の1930年に、ナチの御用哲学者であるA・ローゼンベルク(Alfred Rosenberg 1893-1946[ニュルンベルク裁判にて死刑])が公刊した『20世紀の神話 Der Mythus des zwanzigsten Jahrhunderts』のことが思い出されます。
 それから無論、(3)ベンヤミン自身が『暴力批判論』で提示した「神話的mythisch」暴力という概念。
 これらがすべて私の頭の中で連結して、私には原文の「mystisch」が「mythisch」としか(文字通り)読めなかったのです。

【4】しかし、ベンヤミン自身は、このインタビューでヴァロアたちの運動を「mythisch」ではなく、「mystisch」という言葉で表現している。本来なら、このインタビューの初出文献にまでさかのぼって確認すべきかもしれませんが、少なくともSuhrkamp版の全集には「mystisch」として収録されている。──それは、何を意味するのか。
 私の誤読・誤訳がそうなのですが、もし、ベンヤミンがここで「mythisch」という言葉を使っているのなら、彼のアクション・フランセーズ(=ファシズム)に関する評価は、明確です。『暴力批判論』(1921年)で、ベンヤミンは「神話的」暴力を否定しましたから、この運動がここで「神話的」という言葉で形容されているなら、それもまた明確に否定されるべきものなのです。
 ところが、ベンヤミンは実際は「神話的」ではなく、「神秘的」という言葉を用いている。「神秘的」というのは、要するに「得体がしれない」「謎めいている」「見極めがつかない」ということです。つまり、ベンヤミンは、このインタビューをおこなった1927年の段階では、この運動がどのようなものかに関する最終的な判断を、留保していたように思えるのです。もう少し肯定的に言えば、「議会主義を時代遅れのものとして否定する」アクション・フランセーズにも、それなりの可能性を見ていたのではないか。少なくとも「唯‐議会主義」の限界をベンヤミンは認識し、それとは異なる政治の可能性を、ヴァロアたちの運動にも見てとった上で、「神秘的である(=その行く末が分からない)」と評したのではないか。
 私の『社会』における解釈でも、ローザ・ルクセンブルクベンヤミンは「唯‐議会主義」を良しとしているわけではない。しかし、私の上のような誤読・誤訳だと、ファシズムとの対比において、ベンヤミンを今度は過度に「(唯‐)議会主義」の方に押し戻してしまう。その意味で「誤読」「誤訳」なのだ、と自己批判を込めて言っておきます。

【5】その延長線上で、あらためて確認すべきなのは、「(唯‐)議会主義」の限界と欠陥でしょう。1932年秋に、ナチは普通選挙によって第1党になり、翌33年1月にヒトラー内閣が発足する。しかも、1919年からドイツでは女性参政権が認められているわけで、男たちも、女たちも、ヒトラーに一票を投じた。このことの意味を、どう考えるべきなのか。

 教育基本法の改「正」が、今まさに日本の国会を通過しつつある。それを可能にしているのも、普通選挙であり、議会主義です。さらには、改憲のための国民投票も、秒読み段階に入っているように私には思えます。そこで、どのような結論が出されることになるのか。──私たちは今、一体、何を考えるべきなのか?

【6】(2006年11月22日追記) 以上のような誤読、誤訳があったことは事実です。しかしながら、あらためて強調させていただきますが、拙著『社会』の上の箇所で述べた私自身の考えは、少しも訂正の必要を感じていません。「議会主義を時代遅れとして否定する」運動がまた、「恐れ」と「服従」という斧を刺した「束稈(ファスケス)」を生み出した、ということ。そして、「神的」暴力をそこから救出するためには、議会制民主主義そのものを救出する必要がある、ということ。問題は、この救出の途が何であるか、です。その途を、拙くはありますが、私は「議会制を超える議会制」という言葉で表現しました。